今年5月で高知県へ移住して10年、ホントに本当に色々なことがありました!10年間、東京の児童養護施設で働いた後、10年間高知県で柑橘農家として働いて、多くの人と出会い・別れ、ふと考える今後の人生…。そんな節目の年に、偶然なのか必然なのか大きな『転機』がやってきました。自分自身が納得できない出来事があり、「このままで良いのか」という問いを繰り返す1年、まだまとまりきっていない考えを、まとまりきっていない今、書き留めておこうと思います。
柑橘農家としての不安と自信
2014年、何にも分からない状態で飛び込んだ“みかん農家”の世界。まずは、マニュアル車(軽トラ)を運転できるようになる為に、自動車学校に通うことから始まりました。他にも見よう見まね、体力勝負で仕事を覚え、3年で大まかな1年の流れが分かり、5年間でコツ(ここだけは外せない大切なこと)を学びました。10年も経つと、経営や今後のビジョンといった視点をより細かく・鮮明に見ることがきるようになりました。
「知り、分かった」ことで、未来への不安を強く感じるようにもなりました。それは、農業・田舎が、ここ30年間近く大きな変化をしてこなかったことを痛感したからです。IT化はもちろん、機械化など省力化のスピードも他の業態に比べ、非常に後れをとっています。何より、高齢化した産地では変化することすら望んでいないことが、私を不安にさせました。
さらに、高齢化によって今後は確実に生産者が減少していきます。私は、農家としては若手になるので、栽培を続ければ自然と「勝ち組」になります。そして、これまで勉強してきたことや人脈を活かして、時代とともに変化していくこともできると思っています。この剪定ばさみと鋸があれば、植物ホルモンの流れを意識して、美味しい柑橘を作れる技術は身に付きつつあります(勿論、足りない所も盛りだくさんですが)
出逢い
今春、霧の中で身動きできなくなっていた私の元に、長文のメッセージが届きました。長野に住む中学校を卒業した青年が、「農業をやってみたい」という内容で、園地を見学して話を聞きたいということでした。約700㎞の道程をやってくることはないだろう…と思っていたら、本当にやってきて数日間一緒に過ごしました。30才の年の差があっても、『自分の人生』を探す旅をしているのは変わらないんですね。
住み込みで働くことや、未成年であることなど、今現在では条件面がマッチしませんでしたが、彼とはいつかどこかで面白いことを共同できる気がしています。何より、10代の若者が「農業をやりたい」と言ってくれることが、私の力と希望になったことは間違いありません。他にも、小学生から大学生の若者たちから、「興味がある」「やってみたい」という声が届いています!彼女、彼らがこれから農業をやれば、いつか業界のトップに立つことができるでしょう。なぜなら、私たちの何倍ものチャレンジできる時間を有しているからです。
私たち中年やさらに上の世代も負けてはいられません。若者が進む道を耕し、導き、共に歩むことができるように、私たちこそがチャレンジをし続けることが重要ではないでしょうか。
別れ
“出会いがあれば、別れがある”のは必然なのか、今年も友人たちが旅立ちました。それも、40代・50代といった、まだ若い世代の友人です。1人の友人は、地元の中学からの同級生でバスケ部でも切磋琢磨した仲間です。「また会うこともあるだろう」と、実家に帰った時にも特に連絡せずにいたら、もう会うことが叶わなくなりました。
もう1人は、前職の同僚でした。一回り以上の年の差がありましたが、何度も喧嘩をして意見交換をしたり、妙に馬が合う人で、高知をとても愛してくれた人でもありました。何度も来高してくれ、私が淹れたコーヒーを飲みながら近況とこれからについて語り合ったものです。亡くなった後で、ご遺族から「まだまだ、やりたいことがある」と何度か涙を流していたことを知りました。東北の児童養護施設に、果樹園さかもとのポンカンを送る『オーナー制度』を立ち上げたばかりで、悔しかっただろうなぁ。6月、最後に会いに行って良かった。
他にも、お世話になっている方の息子さんが旅立ったり、大病を患って治療を始める友人・知人がいます。今、生きているということは当たり前ではなく、幸せなことだと再認識する1年にもなりました。
灯台になりたい(私がこれからやりたいこと)
目の前の霧がうすくなってきた夏、児童養護施設で一緒に生活をした子どもが結婚式へ招待してくれました。久しぶりに再会した子どもたちは、すでに子どもではなく、立派な大人になっていました。社会に出て立派に働き生活をしていますが、会えば一瞬で十数年前に戻り、思い出話に花が咲きます。これからの人生、再び社会福祉施設の子どもたちと一緒に生活する(就職する)という選択肢もありましたが、皆と再会すると、私がこれからやりたいことは別にあることが分かりました。
一緒に生活した元子どもたちの第2・第3の故郷になること。何年かに一度、遠い親戚の家に遊びに来るような感覚で高知に来てもらい、互いに近況を語り合えたら幸せだな~と。もちろん、元同僚たちや会ったことのない社会的養護のもとで暮らした(暮らしている)子どもたち、生まれや育ちなど関係なく、ちょっと疲れた人やそうじゃない人たちも、訪れて少し休むことができる場所になれたら良いなと思っています。
そのポテンシャルがあるのが、高知県須崎市浦ノ内だと確信しています。ずっと変わらない、包み込んでくれる穏やかな浦ノ内湾、そこにある灯台のような場所・人になれるよう修行をしていきます!
生きているということ
昨年末、心がへし折れた状態から1年。暗中模索する中で、ようやく『覚悟』ができて定まったように思われるかもしれませんが、今も色々なことに迷い、悩み、それでも歯を食いしばって進んでいます。今年も、みかんの木は病気や異常気象の影響で栽培しづらい状況だし、超高齢化した産地では、次々に耕作放棄山が増えていて、そこの蜂に刺されるし…。
それでも、私にとっては必要な期間でした!悲しい別れもありましたが、新しい出会いも沢山ありました。新しいプロジェクトも進行中です!!高知県の生活が豊かなことも再確認でき、旬の食材で笑顔にもなれました。何よりも、お世話をしている木や山とじっくり向き合い、厳しい自然環境の中でも納得のいくみかんを栽培することができたと自負しています。それは、周りの人の支えや健康な身体があってこそです。
写真は、高知県西部の廃校になった中学校にある詩碑です。生きているということは…
あしたがあるということ
ゆめをみるということ
こころがふるえるということ
今シーズンも心がふるえる『五感で感動する 旬の柑橘をお届けする』ことができそうです。今後とも宜しくお願いします!!!